ブルシットジョブとは何か

以下の動画からブルシットジョブの概要と問題点をまとめる。

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ブルシットジョブは、意味がなくて役にも立たない、なくなっても困らないし、むしろないほうがいいと自身が思うような仕事。 対してシットジョブは、劣悪な労働環境であったり、低賃金であるような仕事。いわゆる3K仕事(きつい・汚い・危険)。

ブルシットジョブの何が辛いのか。「価値がないことをやらされ続けるのは辛い」「それを口に出せないことも辛い」。労働者の4割、特に一般的に社会的成功者と思われている高給取り(コンサルや弁護士など)ほどがこれを感じているという。自分の労働全てでなく、一部だけをブルシットだと感じる部分的ブルシットジョブも含めれば、かなりの割合の人が自分の仕事に価値がないと感じて働いていることになる。これまで劣悪な労働環境でシットジョブは問題になってきたが、ブルシットジョブも今の社会システムが持つ大きな問題ではないか、というのが切り口。

大澤真幸は、問題の本質は貨幣のブルシット性ではないかと言う。お金を求めるのはどこか卑しいという感覚は誰しも持っているが、結局のところこの社会では最後の最後ではお金が物を言う。どれだけ価値があるものかは最終的には支払われる報酬で決まる。このねじれがこの問題を生んでいるのではないか。 途中で一つ募金活動の実験例が出された。募金集めをいくつかのチームで行うが、Aチームはボランティア、Bチームは集めた金額の何割かを報酬として貰うというルールで行った。普通に考えれば報酬が得られるBチームの方が集めた募金額は多そうだが、結果はAチームの方が募金額は多かったという。ここにも報酬(貨幣)のブルシット性がある。

さて、シットジョブはきつくてもなぜ価値があると感じられるのか。顧客との距離が近く、価値あるものを届けている手ごたえがあるからだろう。自分がいなくなっては困るという自覚がある。ではブルシットジョブは顧客に価値提供できていないのか。報酬を貰っている以上は何かしら価値あることをしているはずである。価値がなければ競争社会で廃業となっている。

西部邁『言葉は昔、思想であった』の賃金の項に以下の文章がある。適正な交換関係にない、という点がポイントかもしれない。

交換関係を絶たれること、それが人間の本性に最も反するとみるべきではないでしょうか。労働・勤労がその個人にとって苦痛か快楽かは表層の問題にすぎません。物事の真相にあるのは、適正あるいは公正な交換関係のなかにわが身がおかれることが、人間にとって満足である、という真実なのです。